音とか食とかについて

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月曜朝、HPの表示が黄色くなりながら
疲労困憊で自宅になんとか帰り着き
がばっと仕事して、ひたすら睡眠

実家の小さな箱庭で作られた
大根を3本いただいた
葉っぱは立派なのに
肝心の根の部分は手のひらよりも小さい
大根じゃなくて、小根だなんていわれた

ちゃんと料理する余裕がなかったので
1本目は、葉っぱと根も一緒に雑炊にして食べた

彼女は言っていた
「なかなか大きくならん」と
手塩にかけて育てているけど、
箱庭ではなかなか思うような野菜に育ってくれないようだ

人間が、ずっと昔からしてきたこと
自分の食べるものを自分の手で育てるという事

先日東京でお会いした、カメラマンの作品をふと思い出した
エチオピアでの写真で
やぎが、食べるためにさばかれているもの
そして、その次には美味しそうに調理されて盛りつけられているもの

現地の人々の歓迎をうけて
やぎをさばいて、おいしい料理にして食べたそうだ

共通することがある
少なくとも、現代の日本人に欠けている
食べる事の行程

土を耕し、種を植え育て、収穫して
おいしい料理にして食べる
家畜を育て、自らの手でさばいて食べる

わたしたちは
大根が食べたいと思えば
スーパーマーケットへ行き
百数十円で売られている大根を買い、調理する
肉が食べたいと思えば
トレイに盛りつけられた肉を買う

そういう生活が当たり前になってしまったから
食に対する敬意や、生きることの意味が
見えにくくなってしまったんだろう

小学校の時に、学年のみんなで育てたじゃがいもが
特別においしく感じたり
自分で釣ったアジの天ぷらが
他のどの魚よりもありがたく感じたり

自分の生命を繋げる事に
努力をしなくてよくなった現代社会

いや、努力はしているのかもしれない

自分の身体の生命活動を維持する為の食物を
スーパーマーケットで買うために
会社に勤めたり、パコソンに向かったりして賃金を得ている
その賃金を得るためにたくさんの努力をしているはずだ

だけど
今日も無事にごはんが食べられたという事に
感謝できているんだろうか
食品を買うための賃金を貰う為に働いた自分自身を労い
食べるために調理された、目の前にある食物の命に感謝する

その感情が欠落していることに
気付いて、知ろうとすることは
とても大切なんじゃないかと思った

ついったーにもポストしたのだけど

東京の帰りに、COWPERSの音源を聴いていて
他の音源も欲しくなったので
amazonで買おうと思ったら
入手困難なのか、けっこうな値段がついていて
おなじようにヤフオクでも探したら
こちらもちょっと高い

でもどうしても聴きたいし

まさか、あるわけないよな
と半分諦めの気持ちで
iTunes Storeを検索したら
あるある、あるじゃないですか

AACのファイルは、CDそのものよりも音質は低いけど
とりあえず聴くことができるので
買えるだけ買ってみた

(後で知ったのだけど、公式通販だと普通にまだ買えるらしい)

初めてかもしれないけど、iTunesすごいなと思った

でもiTunesで売ってるってことは
普通に手に入るものなのかもしれないなぁ

どうにもこうにも入手不可能な音源で
どうしてももう一度聴きたいなと思うものが
かなりあるような気がする
古いインディーズだと、CDにすらなっていなかったりもするので
自分の記憶の中に存在しているだけ

エレキングとかpormとか
札幌の音楽が聴きたい

なんとかならないものか
もんもんとしながら

やっぱり今日も仕事が手に付かないのでした

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