乖離

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僕は、僕の感情について話すことがよくある。
客観的に「僕という人間はこのような感情を持っている」と話す。
しかし、客観的にそれが語られるのであれば
持っているものは「感情」ではない。
主観的であるからこそ、それは「感情」なのであって
あたかも、僕以外の人間が殻の外から眺めているように
僕がそれについて語ることができるのであれば
それは「感情」とは遠い何か違うものという事になる。
乖離
外核、内核をすでに越え
僕の内なるものをじっとみている僕がそこにいる。
僕であって、僕ではない僕がそこにいる。
そこから見ることに慣れてしまって
深淵より湧き出る「感情」とよばれるものに
外核である僕を動かされることが苦手になってしまった。
僕は今「何故、そこから見ることに慣れてしまったのか」
という理由を探している。
おおよその見当はついてる。
失うことへの恐怖感、だろう。
僕が、たくさんのものを失った通過点
(4~5年前としておく)
そこに原因があるのではないかと思っていたが
もしかしたらもっと以前にそれがあったのかもしれない。
ふつふつと過去がわきあがる
どれも_____」」」」明確には思い出せないけど
捨てたはずの記憶が津波のようにおしよせ、僕をのみこむ

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