家族のこと

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母方の実家である
島根県、隠岐でずっとくらしていたばーちゃん
3年くらい前にわたしの叔父、つまり
ばーちゃんの長男が急逝し
心身ともに疲労が溜まっていたのか
その数カ月後に脳梗塞で倒れてしまった

それ以来、隠岐の家を引き払って
わたしの実家である大阪の家で暮らしている

今年の始めだったかに
わたしが骨折して入院した後で
再度、脳梗塞で入院

そして先日、3度目の脳梗塞で現在入院中

わたしの、残った数少ない「家族」です

ばーちゃんはずっと隠岐で暮らしていたので
子供の頃から、年に1度会うか会わないかくらいだった
毎年夏休みになると、家族で隠岐へ行き
だいたい一週間くらい滞在していた

そういった恒例行事も
わたしが中学生になった頃には無くなり
再びばーちゃんに会えたのは
わたしが20代後半になった頃だった

子供の頃の記憶は曖昧なもので
再会した時には
こんな小柄な人だったのかと思った

小さいながらも達者に畑仕事をし
しっかり地面に足をつけて歩いていたばーちゃん

先日、よしおを預けに行った時に会ったばーちゃんは
髪の毛がすっかり真っ白になって
さらに身体も縮んだように見えた
「心臓があまりよくない」と自分で言っていた
わたしが持っていった魚を嬉しそうに冷凍庫に入れていた

心臓が悪いといいながらも
ニコニコしていたので
さほど心配はしていなかったのだけど
そんな矢先の入院

さっき母から電話があった
今回は閉塞した場所があまりよくないらしい
だけど高齢なので手術はおすすめできないと医者からいわれたのだと

母が言うには
麻痺していた手も動くようになったし
月末には一旦退院できるとのこと

ただ、本当にたいしたことないのなら
たぶん母は電話をしてこない

母から着信があった時点で
あまり良くないニュースだというのは直感でわかった
気丈に振舞っているが、母自身も不安なのだろうと

ばーちゃんにとって
わたしと、わたしの弟は
世界にたった二人の孫

母の兄達には子供がいないので
二人しかいない

数えられるくらいしか会ったことのないばーちゃん
だけどもうこの世界に3人しかいないわたしの家族のひとり

父方の祖母が亡くなった時にした後悔
それと似たようが気持ちが今ある

でも今の自分と昔の自分は違う
置かれている状況も違う

わたしができる事は
できる限り会いに行くこと

ばーちゃんに、なにかしてあげたい

後悔というのはこういうものだ
怖いから未来だけを見るようにしてきた結果
通りすぎてしまった出来事に対して
自分の無力さを嘆く

自責の念でいっぱいだ

許して欲しいからとかじゃない

そういう、おこがましい気持ちとかじゃない

ここまで書いて、止まってしまった
何書いても言い訳にしかならないし
自分自身が許しを乞うているようにしかみえないし

これはただの決意表明
兎に角可能な限り実家に帰る
ばーちゃんに会いに行く

ONA FES終わったらすぐに帰ります
とりあえずバスのチケットを今からとります

父へ
万が一この記事を見ることがあっても
母には何も言わないでください
これはわたし自身の事なので

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